石畳とは

【読み:いしだたみ】

敷石を敷き詰めた様子からできた模様です。碁盤目のように、正方形を経横に並べた連続模様です。別名市松ともいいます。 文様として最も単純な形式であり、洋の東西を問わず古くから文様として使用されています。石畳紋には正方形だけでなく長方形のものもありますが、霰紋といわれるものは正方形だけです。また黒石と白石を入れ違いに描くといわれることがありますが、白石部分は決して数に入れられません。窠に霰文様は平安時代の表袴(うえのはかま)の代表的なデザインで、江戸時代まで継承されました。紋章としての初見は『吾妻鑑』宝治元年(1247)6月5日条に「(薬師寺)公義碁石畳紋の旗を差し揚げ、筋替橋北の辺に進み、鳴鏑(かぶら)を飛ばす」と記載されており、旗印として早く使用されていたことがわかります。 図柄は、正方形もしくは長方形を水平や斜めに1~16個幾何学的に配列した形をしています。4つの角は必ず直角で描かれることで菱紋と区別されています。家紋としては代表的な幾何学的な紋様の一つです。 『吾妻鏡』の薬師寺氏が五つ石、『羽継原合戦記』には犬甘(いぬかい)氏、平瀬氏、島氏、後聴氏などの信濃国人衆の使用が見えます。他にも信濃では西牧氏、『夜討曾我』には信濃の根井氏、『見聞諸家紋』では紀姓安富氏、入江氏が丸に四つ石、橘姓の矢野氏、平姓の梶原氏、土屋氏などが見え、各氏流とも使用しています。江戸時代の『寛政重修諸家譜』では使用氏族が60余氏に及びます。桓武平氏良文流の土屋氏がとくに有名で、土屋氏はその後に源姓足利氏族、源姓小笠原氏族も名乗りますが、いずれも三つ石畳を使用します。鎌倉幕府有力御家人梶原氏も使用します。陸奥国和賀郡発祥の多田氏族和賀氏諸流の本堂氏、横沢氏、藤根氏、三上氏、太田氏、猿橋氏、鬼柳氏、平沢氏、小田島氏、高屋氏、奥瀬氏、小原氏なども使用しました。 信濃国小笠原家臣団、また現在小笠原姓が集中する岩手県、青森県に多く見られる家紋で、九戸郡に入部していた小笠原氏との関係を想像させます。長野県、静岡県、関東地方など土屋姓の多い都県、また岩手県、青森県などもに多く見えます。

関連するキーワード

タグ「市松」に関連するワード

タグ「模様」に関連するワード