梅紋とは

【読み:うめ】

梅は中国原産のバラ科植物で8世紀中頃日本に渡来したといいます。早春に香り高く咲く白い花と優雅に富んだ樹姿は日本人に愛好され、奈良時代から紋様となり、平安時代には衣裳や調度品などに瑞祥の紋様として盛んに用いられました。紋様として現存する最古のものは日本三不動として有名な高野山の赤不道明王像の裳に意匠されたものといいます。家紋としては菅原道真が梅を好み、また天満宮が道真を祀ったことによる神紋として始まったと思われます。梅は別名を好文木(こうぶんぼく)といい、学問の栄えるときに立派な花をつけるという伝説があり、また初春にすべての花に先駆けて最初に咲き始めることから「花の兄」とも称されます。梅鉢の名称は、中心から伸びる花弁が舞楽で用いる太鼓のばちに似ていたことによるといわれています。
梅紋の図柄は写実的に描かれた梅花紋と、デフォルメされた梅鉢紋に大別されます。割合的には梅鉢紋の方が圧倒的に多いです。また梅花紋は蘂(しべ)のないものと、向こう梅、匂い梅など蘂のあるものに分類することができます。梅鉢紋は六曜星紋と酷似しますが、中心の星が小さいのが特徴です。
梅紋の使用氏族として最も有名なのは菅原氏族です。平安時代、政争に敗れ大宰府に左遷された菅原道真は梅の木を愛し、「東風(こち)ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春をわするな」と詠み、その邸内にあった梅の木が道真を慕って一夜のうちに筑紫国まで飛んでいったという「飛び梅伝説」は有名です。
神紋としては太宰府天満宮が梅花紋、北野天満宮の星梅鉢など、全国の天神社が梅紋を用い、またその社家や氏子にも使用されます。菅原氏の子孫と称する氏族も多く梅紋を使用し、公家では高辻氏、唐橋氏、清岡氏、桑原氏が梅鉢、東坊城氏が星梅、花山院源氏の白川氏は向こう梅、武家では加賀百万石の前田氏や、相良氏、久松松平氏、美作菅家党などが代表的です。加賀国江沼郡の敷地天神を氏神として崇めた斎藤氏などが梅鉢を使用し、美濃国に移ったのち、斎藤氏の一族が多く梅鉢紋を用いました。菅原姓を称する前田氏も実際には斎藤氏の庶流といいます。菅家党の漆間(うるま)氏からは法然上人が出ており、法然上人と所縁の深い京都市の清涼寺は寺紋に梅鉢を使っています。
分布域は太宰府天満宮のある福岡県を中心に東西南に2県ずつ広がっていますが、福岡県自体にはそれほど多くありません。もっとも多いのは鹿児島県、以下広島県、熊本県、長崎県、佐賀県、山口県、滋賀県、山形県、宮城県、京都府と続きます。

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