紋のしきたりとは

【読み:もんのしきたり】

明治二年、国民全部に苗字と家紋をつける許可が政府からおり、それ以来家紋の重要性がいちだんと高まってきました。それまでは、皇族、貴族、武家の間でしか家紋は使われておりませんでしたので、家紋に対するあこがれは今の私たちが思う以上に強かったのだと思われます。 男紋は九分~一寸の丸の中、女紋は五分五厘の丸の中。紋をつける位置は、背紋は衿下から一寸五分、袖紋は袖山から二寸、抱き紋は肩山線から四寸と決められ、正式紋は染め抜きの五つ紋となりました。これは武士の裃(かみしも)紋からきている考え方で、家紋を許された庶民は、あらゆるきものに紋をつけ、その喜びをきものに表現しています。そして白抜き紋は日向紋、逆に黒地に紋の輪郭だけを出したものは陰紋、糸でつけた紋を縫紋といいます。日向紋は正式で晴着用、陰紋は法事やお通夜などの哀しみの席に、そして縫紋はお茶席など軽い慶事にと使用目的も定められたのですが、二〇〇〇年近くつづいているきものの歴史の中で、現在の紋のしきたりはまだ一〇〇年そこそこですので、あまり窮屈に考える必要はないと思われます。家紋は母方の紋をつけるのが一般的です。これは、母系を重要と考えたことと、女に遺産相続の権利がなかったために、女の持ちものを実家から持ってきたことが一目でわかるようにするためです。 紋の種類は、天文紋、植物紋、動物紋、器財紋の四つのパターンに分けられます。天文紋は、天地四方を守る紋として、平安時代に公家、貴族たちが信仰のためにつけたのがはじまりで、牛車や家具、身のまわりのものに多く付けられています。植物紋は家紋の中では最も多く、植物が持つ霊力を自分のからだにつけようとして用いたのがはじまりです。武家の紋はほとんど植物紋でそれを軍旗に染めていました。権力を誇示したり、また領地をきっちり守るためにも紋は必要でした。大名紋は家来たちにとって、錦の御旗でもあったのです。動物紋は商家に多く、それが企業紋、社紋として発展していってます。日航の鶴のマークなどはその最たるもので、鳳凰紋とか獅子、たまにウロコ紋なども見受けられます。器財紋は漁師や仏教関係など、その道で、必ず必要な道具を紋にしている場合です。やはり企業や行政紋に多いようです。 現在紋は五〇〇〇種以上あるといわれていますが、それは一つの基本形から丸をつけたり花弁をふやしたりして変えていくからで、分家をしていくと共に紋をふやすという習慣からそうなりました。たとえば梅の花の紋は全部で一〇九種類もあります。梅鉢という五弁と中に小さな丸のある基本形を丸で囲んだり、中の丸に花びらをつけたり、また花びらをねじったり、つぶしたりあらゆる可能性を求めて変化させています。 家紋を許される前の庶民たちは、華紋などをきものにつけて楽しんでいました。加賀紋などはその代表で、四季の草花を友禅染にし、それをきもののアクセントとしてあしらいます。とくに江戸時代は度重なる贅沢禁止令がでて総模様のきものが少なくなり裾模様だけとなったとき、上半身が淋しいので、そこに伊達紋といって花を染めたものや刺繍の紋をつけてきもののバランスを考えました。また江戸時代に大人気をはくした江戸歌舞伎、この役者たちの役者紋を利用し、その役者ファンが自分の紋と組み合わせてつくる比翼紋なども当時大流行しました。紋は礼装をのぞけばこだわる必要はなく、ひとつのデザインとして考えて自分で考案するのもたのしいものです。 紋付きの紋の場所が白くあいているのを石持(こくもち)といいます。本来は武士の家紋でした。白い丸をもちにみたてたもので、禄高がふえるようにと武士が縁起をかついで使ったのですが、下級武士はなかなかここに紋を描き入れることができませんでした。現在も、既製品の黒紋付を買う場合、自分の家紋を石持に入れます。

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